評価的思考のクセを広げていくこと。そのために評価者は、相手によって伝わる報告の形態、例えば、ストーリー、詩、寸劇などの表現方法の活用を考えなければならない。そこで中心になるのは、事業や事業者がもつ価値の体系を引き出し、それについてしっかり討議することだ。そういった営みを通じて、評価は、事業実施者や事業に関わるステークホルダーを巻き込んで、公平・公正な社会に向けた取り組みを実践していくことができる。
評価的思考は、批判的思考(critical thinking)に近い概念だが、より広く、深みのある概念だ。そのことはやはり我らがマイケルが教えてくれる[1]。
それは例えば、ハンナ・アーレントが、ナチズムの再来を防ぐには、人々が民主主義の価値観にもとづき、日々行う考えの質を問題にし、その考えを仲間や友人などと闘わせることによって思考の質を高めていく必要性があると説いたことに関係している。また、マイケルは評価理論家のErnie House を引いて次のように言う。
評価の民主的なプロセスを保証する主たる機能は、ステークホルダーに声を上げる機会を与え、対話と熟議を奨励することである。それが民主的であるためには、次の3つのすべてが含まれていなければならない。
- 取り組みに関わるすべてのステークホルダーの見解、価値、関心事が表明されること
- 評価者も参加してステークホルダー間の広範な対話が行われ、互いの立場や見解の理解が進むこと
- すべてのステークホルダーが参加する場での熟議による意思決定がなされること[2]
簡単なことではない。しかし、こういった努力によって、参加者の間での評価的思考が養われ、民主主義が成長していくというのだ。相手の考えを聞き、それによって自分の考えを相対化し、自分の価値観や想定事項に思いを馳せ、どのような根拠(事実や思想)によって自分の考えが成り立っているかを内省する。それは参加型評価といった、単なる評価の一手法にとどまらず、現代社会において、万人に求められている思考形態ではないだろうか。そして、評価者は、そのプロセスをファシリテートする訓練を受けており、技量をもっているはずだというのである。
2018年10月にギリシャで行われたヨーロッパ評価学会の大会に出かけ、朝、テッサロニキの海岸沿いをジョギングしていたら、散歩している Jennifer Greene とはちあわせた。日本でDE(発展的評価)の研修プログラムについて話したら興味を示してくれたJenniferは、評価には公共哲学としての側面があると述べる。だからこそ、評価者は、評価の会話を事業者とする際、評価的思考のクセを伝えることが大きな役割であり、そのためには、文書だけの評価報告書だけでなく、相手によって伝わる報告の形態、例えば、ストーリー、詩、寸劇などの表現方法の活用を考えなければならない。そこで中心になるのは、事業や事業者がもつ価値の体系を引き出し、それについてしっかり討議することだという[3]。
そういった営みを通じて、評価は、事業実施者や事業に関わるステークホルダーを巻き込んで、公平・公正な社会に向けた取り組みを実践していくことができる。このことは、今後日本においても、評価を行う側として評価に携わる人々すべて、そして評価を受ける側として評価に関わる人々すべてが意識すべきこととなっていくだろう。
[2] 同上より筆者による意訳
[3] Jennifer Greene, “Advancing Equity: Cultivating an Evaluation Habit,” [3] Stewart Donaldson and Robert Picciotto (eds.), Evaluation for an Equitable Society, 2016, Information Age Publishing, Inc., pp. 49-65.