英語のAccountability が日本語の「説明責任」にすり替わった時点で、原意にあった権力関係に関する意識がどこかへ行ってしまった。DEにおけるアカウンタビリティを捉える前に、まずこのことを押さえておく必要がある。
「アカウンタビリティ」。よく「説明責任」と訳される[1]。評価の文脈においては総括的評価の目的としてよく引き合いに出され、NPO/ソーシャル・セクターに限らず、日本のなかでは‟評価といえば説明責任のため“とまず発想される概念であることは間違いない。そして、アカウンタビリティを果たすことは、NPO/ソーシャル・セクターの団体にとって、「必要だからやるもの」である場合がほとんどではないだろうか。そこでは評価が「必要だからやるもの」と同値になっている。
DE(発展的評価)におけるアカウンタビリティの紹介に入る前に、この概念について整理しておかなければならないことがある。アカウンタビリティが説明責任にすり替わった時点でどこかへ行ってしまったことがあるのだ。
まず第一に、アカウンタビリティは他者、しかも要求する他者を含意している。筆者が1990年代に米国のNPOに勤めていた頃に学んだことだが、英語ではAccountabilityは名詞として流通する以前から、“hold someone accountable”、“hold someone to account” の形(あるいはその受動型)で用いられることが圧倒的に多い用語だった(今でもそうだろう)。つまり、自らアカウンタビリティを果たすということは基本的にあり得ないことで、少し大げさな言い方をすれば、自らの申し開きによって他者の審判を受けるという概念なのである。そして第二に(こちらが大事だが)、この「申し開き」をすべきは、権力関係の上の人間・団体の場合が基本である。つまり、“hold someone accountable” を要求するのは例えば国民、要求されるのは例えば政府である。
日本で説明責任の用語が使われるとき、上記の2点の基本が忘れられている場合が多くあるように思う。政治家が「説明責任を果たしていきたい」と言うとき、相手として国民が含意されているのかもしれないが、それがはっきりしていない場合が多い。また、NPO/ソーシャル・セクターの団体が自治体からの補助金を受けて事業を遂行し、「国民の税金なんだから説明責任を果たしてください」と言われる場合、それは資金提供者としての自治体という、二項対立の権力関係で上の者が下の者に対して発する物言いになっている場合が多いのではないだろうか。
アカウンタビリティには「上向き」、「下向き」あるいは「360度」のアカウンタビリティという概念がある。NPO/ソーシャル・セクターの場合、権力関係が「上」の者(例えば資金提供者)に対して果たすアカウンタビリティには「上向き」、「下」の者(例えば受益者)に対して果たすアカウンタビリティには「下向き」という命名がされている。そして、事業や活動に関わるあらゆるステークホルダーに対するものが「360度のアカウンタビリティ」となる。これは、NPO/ソーシャル・セクターとして、「上向き」のアカウンタビリティばかり考えていてはいけません、「下向き」や「横向き」、「360度」のアカウンタビリティについてもしっかり遂行しましょう、という自戒を込めた呼びかけになっている。
つまり助成金や補助金を受けている場合、ついつい資金提供者の方ばかりを見て事業を実施することになりかねないが、それでは、NPO/ソーシャル・セクターとしてのミッションを果たすことにならないし、そもそもアカウンタビリティの原意にもそぐわないというわけだ。なので受益者に対してしっかり事業の経過や結果を報告する。さらに事業や報告の対象として捉えるだけでなく、受益者をしっかり巻き込んで事業の組み立てをする、一緒に評価する(参加型評価)、等の姿勢が奨励されるのだ。
⇒【DEとアカウンタビリティの考え方(2)〜DEが拓く新たな地平】に続く
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