今田 克司

複雑系理論を評価に応用すると、何が見えてくるのか。例えばPower Law冪乗則)分布について考えてみると、私たちの20世紀的思考の呪縛がどんなに強いものなのかがわかってくる。

 「DE引き出し集」のなかで一番難解な(あるいは一番わけのわからない)論考を書いてみることにする。なお、これを書くことができるのは、我らが友人、ジョニー・モレル氏のお陰である。北米の評価者コミュニティのなかでも少し「変わり者」として見られているジョニーだが、彼の功績はとても大きい。複雑系理論と正面から向き合い、その評価への応用についてジョニーが苦心惨憺しているからこそ、評価学はこれからも発展していくのだと思う[1]

 切り口はいろいろあるのだが、さてどこから始めようか。一例としては、やはり わかりやすいPower Law からにしようか。複雑系理論の基礎にある Power Law。日本語では「冪乗則」と訳すらしいが、こんな日本語、見たことありません。「べきじょうそく」と読む。Law、「則」というからには、一種の法則なのだが、平均や正規分布の概念に慣れている私たちにとっては、けっこう違和感のある法則だ。Power Law の分布は、図1のように示される。


図1.Power Law

青の曲線が正規分布。赤の曲線がPower Law の分布

 Power Law の分布が現実に現れている最も卑近な例は、インターネットのサイトのリンクの数や空港の発着フライトの数だろう[2]。どちらも、横軸にリンクやフライト数を置き、縦軸にサイトや空港の数を置く。個人の所得分布も、かなりPower Lawに近い分布曲線を描く[3]。国際NGOオックスファムの2019年のレポートによれば、世界で一番裕福なトップ26人が、下から半分までの38億人の資産の合計と同じ金額を保持しているという[4]。いつ考えても頭がクラクラしてしまう数字なのだが、クラクラは脇に置いておいて、この分布を見ると、平均値だけで物事を理解しようとすると事象をうまく捉えられないことがあることに気づく。

 ジョニーによれば、このような Power Law 分布の存在は、私たちの評価の前提をいろんな意味で覆してしまうという。例えば、ある農村支援事業で、収穫量増加のための農業研修事業を行うとする。そこで描かれるロジック・モデルは、研修受講→農民が収穫量増加についての知識を得る→実践する→収穫量が増加する→農民の生活水準が向上する→農村全体の生活水準が向上する、といったものになるだろう。ここまでは良いが、とジョニーは以下のように投げかける。

「このロジック・モデルには、事業の効果はある平均値を中心に、だいたい均等に行き渡るという暗黙の想定がある。個々の農民の能力や研修の受容力等によって、収穫量向上にはある程度のバラツキが見られることは予測できる。ただし、事業効果はそれなりに全般に行き渡るだろう、という想定だ。

 ところが、この想定は正しいのだろうか。加えて、収穫量の増加が生活水準の向上に直結するというロジックがあるが、それは正しいのだろうか」[5]

 ジョニーは、「このように疑問を投げかけてみると、事態は評価者にとっては一層面白くなり、資金提供者にとっては難しくなる」[6]と言っている。実際、地域全体のことを考えて行った事業が、地域のなかの一部、特に各種資源に近い人々への便益しかもたらさなかったというような事例は、枚挙にいとまがない。ジョニーは、「長期的アウトカムを考えるのであれば、従来のプログラム・セオリーは、複雑系理論を意識したエマージェント・セオリーへと進化していかなければならない」と説く[7]。エマージェント・セオリーとは、従来型の決定論的( deterministic )なプログラム・セオリーとは異なる、再帰性やネットワークの作用による創発・生成性を勘案したアウトカムの像を描くことだ。

 エマージェント・セオリーがわかりにくいとすれば(わかりにくいと思います)、それはとりも直さず、私たちの思考の枠が、まだ21世紀の世界観に対応しきれていないということを意味するのだろう。複雑系理論の基礎と応用について、評価の世界はまだまだこれから吸収・活用していかねばならない。

[1] ジョニー・モレルの最もまとまった著作は、Jonathan Morell, Evaluation in the Face of Uncertainty: Anticipating Surprise and Responding to the Inevitable, 2010 Guilford Press.
[2] Mark Buchanan, Nexus: Small Worlds and the Groundbreaking Science of Networks, 2002, W.W. Norton & Company
[3] 厳密には所得分布は Power Law 分布ではないが、かなりそれに近いものとして理解される。Albert-Laszlo Barabasi, Linked, 2002, A Plume Book, p.72参照。
[4] https://www.vox.com/future-perfect/2019/1/22/18192774/oxfam-inequality-report-2019-davos-wealth
[5] 以下より抄訳・意訳。 https://evaluationuncertainty.com/2018/09/21/power-law-distributions-part-2-of-6-posts-on-evaluation-complex-behavior-and-themes-in-complexity-science/#more-1861
[6] 同上。
[7] https://evaluationuncertainty.com/2018/09/16/emergence-part-1-of-6-posts-on-evaluation-complex-behavior-and-themes-in-complexity-science/ 英語のエマージェント(emergent)は、経営学で「創発」と訳されることが多いが、筆者にはより原意に忠実な「生成」の訳語の方がしっくりくる。