アリの生態、脳の仕組み、世界経済、インターネット。これら、お互い関係ない分野での探究が、それまでにはなかった21世紀の世界観を生み出している。そしてDEは、それが評価学の分野に漂着した際の、一つの対応策なのだ。
日本語の「複雑」という単語には、英語の complicated と complex の区別がない。筆者はかつて「複雑A」「複雑B」としたが(『評価の国際的潮流と市民社会組織の役割』)、これでは日本語になっていないし、「煩雑」「複雑」と区別した翻訳もあるが(『発展的評価 理解のためのはじめの一歩』にも転載)、これはちと苦しい。
実はこの区別はDE(発展的評価)にとって、そして仰々しい言い方をすれば世界の解釈において、とても大事なことなのである。「複雑A / 煩雑 / complicated」な命題のわかりやすい例としては、「月をロケットに飛ばす」があり、「複雑B / 複雑 / complex」の例として「子どもを育てる」がある(『発展的評価 理解のためのはじめの一歩』にも転載)。
「複雑A / 煩雑 / complicated」の世界の解釈は、還元主義( reductionism )と呼ばれる。これは、いわば20世紀までの科学の進化を支えてきたものだ。すなわち、物事の全体は、部分がいかに構成されているかを解明することによって、理解・説明・予測ができる、という信念で、私たちが中学高校で習う物理も化学も、そうやって世界を理解・説明・予測する。例えば、りんごを手から離せば一定の加速度で下に落ちるのも、水素と酸素をうまく結合させると水ができるのも、そういった科学の進化によって私たちが理解・説明・予測できることだ。
ところが、である。
20世紀になると、還元主義の世界観があやしくなってきた。量子力学(とっても小さいもの)や宇宙物理学(とっても大きいもの)あたりの議論からそれは始まったと筆者は解釈しているが、還元主義では解明できない事象がいろんな分野で次々と出てきたのだ。その一例が、冒頭にあげたアリの生態、脳の仕組み、世界経済、インターネットだが、共通しているのは、“全体を解体して部分の働きを組み合わせることで全体の理解・説明ができない”という点だ。
1971年にノーベル経済学賞を受賞したサイモン・クズネッツは、世界には4種類の国があり、それは発達した経済をもつ国(先進国)、未発達の経済をもつ国(途上国)、日本、アルゼンチンだ、と言ったらしいが、今日でもその類型は生きているという[1]。マクロ経済学では、個々の経済的効用の積み重ねから “市場均衡” や “パレート最適”といった法則を編み出し、事象を説明、予測しようとするが、2008年のリーマンショックを持ち出すまでもなく、予測は不完全だし例外は常に存在する。それでも還元主義の世界観にしがみつこうとする人々は経済学者はともかく経済のしろうとの間には多いが、それは還元主義が一種「心地よい」世界観だからだろう。
「心地よい」のは説明できる、納得できるからで、少なくとも人類は20世紀までそうやって進化し、月をロケットに飛ばすまでたどりついている。部分の機能を最適にし、それぞれの部分を的確かつ精確に組み合わせることによって全体が機能する。そこでは、失敗の原因は、全体の解体・解剖により、どの部分に不具合があったかを明らかにすることで突き止めることができる。
21世紀の世界観は、いや実はそうではありませんよ、と私たちに教える。ひとことで言えば、それを複雑系の世界観という[2]。
この稿【DEの世界観は21世紀の世界観(2)~偶然生まれたDEの必然】へ続く
[2] 複雑系理論に関して、英語を読む人にオススメの教科書は、Melanie Mitchell (2009), Complexity: A Guided Tour, Oxford University Press. 著者の所属であるSanta Fe Institute ( https://www.santafe.edu )は、複雑系科学・理論探究のフロンティアとして知られている。